ありがたみ

夏夏夏、秋。

夏のピークが去り、夜はセミに代わってスズムシが鳴き始め、あたりは秋の訪れを思わせる。日が暮れて1時間と経たない19時の外は、すでに肌寒い。毎年感じるこのハッとなる発見は、毎年同じもののように見えて、どこか違う。目に見える違いがあるのか、と問われるとそうではない。その年の夏の始まりから終わりに向けて、自らの心境にどのような変化があったか、が大きく反映されるのだ。思えば夏の始まりも終わりと同様に印象深い。日が短い頃と比べて明らかに強い日差しや度を越した外気温は、認識せざるをえない強烈なものだ。

四季とは素晴らしい。各季節を印象的に区切ることで、その折々における出来事が、まるでいつでも取り出せるもののようにはっきりとした記憶の定着を促す働きがある。そしてその折りごとに、四季のありがたみが一層感じられる。

 

失って初めてわかるありがたみというものは、存在するのか。目まぐるしく変化する周囲の環境は、多くの要素が複雑に絡み合って成り立っている。無人島に1人で住んでいるわけでもなければ、すべての人は繋がっている。繋がっている以上、1人いなくなれば、1つの繋がりを失う人が現れる。それは些細なように見えて実は大きなことなのかもしれない。繋がりの消失がその人や周囲にどれほどの影響をもたらすかどうかは、実際に消失しなければわからない。ともすると自分に降りかかることもあるかもしれない。すると、それによる苦しみやロスから解放されるにはどうするのがいいのか。

それは、普段からありがたみを認識して受け入れることだ。ありがたみを受け入れると、感謝の情が表れる。ありがたみに感謝すると人はそれに対して応えようと真面目になる。そうすると、そもそも失って初めてわかるありがたみもなくなる上、努力によって自分に強くなる。